なぜポテトチップスの袋が白黒に?「ナフサ不足」の正体と食卓への影響
2026年、日本のスナック菓子市場を牽引するカルビー株式会社が発表した「商品仕様の一部見直し」は、原材料調達の難しさを象徴する出来事となりました。同社は、中東情勢の緊充化に伴うナフサの不足を背景に、ポテトチップスなどのパッケージ印刷を順次モノクロ(白黒)化する方針を示しました。
一見、お菓子の袋のデザイン変更という身近な話題ですが、その背後には「ナフサ」という目に見えない原材料が、日本の製造業や私たちの生活様式といかに深く結びついているかという構造的な問題が潜んでいます。
本記事では、ナフサの定義から用途、そして現在起きている「供給と需要の乖離」のメカニズムについて解説します。
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目次
- ナフサとは何か:石油化学産業の出発点
- ナフサの主要な用途:現代社会を形作る多層構造
- 「ナフサ不足」の真相:政府の見解と現場の乖離
- 中東情勢の影響:なぜ他国の紛争が日本の袋に響くのか
- ビジネス実務への影響:ナフサ価格と供給連鎖
- まとめ:実務家が持つべき「地政学的視点」
ナフサとは何か:石油化学産業の出発点

ナフサ(Naphtha)は、原油を精製する過程で得られる揮発性の高い油です。日本語では「粗製ガソリン」とも呼ばれます。原油を加熱して蒸留塔(トッパー)で分留する際、ガソリン成分と同じ比較的低い温度域(30℃〜180℃程度)で抽出されます。
原油の蒸留とナフサの抽出
原油は加熱されると、沸点の低い順にガス、ナフサ、灯油、軽油、重油へと分かれます。ナフサはこのなかでも非常に軽い油であり、そのままでは自動車の燃料として適さない(オクタン価が低い)ため、主に化学製品の原材料として利用されます。
軽質ナフサと重質ナフサ
ナフサはさらに、沸点の違いによって2種類に分類されます。
- 軽質ナフサ(ライトナフサ): 主にエチレンプラントでの熱分解に供され、プラスチックの原料となります。
- 重質ナフサ(ヘビーナフサ): 主にガソリンの調合用や、合成繊維の原料となる芳香族化合物(ベンゼン、トルエン、キシレン)の製造に使われます。
ナフサの主要な用途:現代社会を形作る多層構造
ナフサは「石油化学の米」と呼ばれます。これは、私たちの身の回りにある人工物の多くが、ナフサを起点とした化学反応の連鎖によって作られているからです。
基礎化学品への熱分解
ナフサは「ナフサクラッカー」と呼ばれる巨大な設備で高温熱分解されます。この工程を経て、以下の4つの主要な基礎化学品が取り出されます。
- エチレン:プラスチックの代表格である「ポリエチレン」の原料です。レジ袋、食品容器、水道管、電線の被覆材などに加工されます。
- プロピレン:「ポリプロピレン」の原料となり、自動車のバンパー、家電製品の筐体、医療用注射器、食品用タッパーなどに使われます。
- ブタジエン:合成ゴムの主原料です。タイヤ、靴底、ゴムホース、住宅の免震ゴムなどに不可欠です。
- 芳香族(BTX):ベンゼン、トルエン、キシレンの総称です。ポリエステル繊維(衣料品)、ペットボトル、塗料、接着剤などの原料となります。
食卓とナフサの繋がり
食品業界においてナフサは、単なる容器の材料以上の役割を果たしています。ポテトチップスの袋を例にとると、中身を酸化から守るための多層フィルム、それらを貼り合わせる接着剤、表面を彩るインクの溶剤、すべてがナフサ由来の化学製品です。カルビーのパッケージ変更は、これらの材料のいずれかが欠けても「従来の仕様」を維持できなくなるという、サプライチェーンの脆さを浮き彫りにしました。
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動画の試聴はこちら「ナフサ不足」の真相:政府の見解と現場の乖離
現在、ニュース等で取り沙汰されている「ナフサ不足」には、統計上の数値と現場の実感との間にギャップが存在します。
政府のスタンス:マクロな在庫は確保されている
佐藤官房副長官などは会見において、「必要量は確保できている」との見解を示しています。これは、日本国内の製油所に蓄えられている「原油の備蓄」や、統計上の「ナフサの総在庫量」に基づいた判断です。マクロな視点では、ただちに国全体の産業が停止するような物理的枯渇は起きていない、という分析です。
現場の課題:特定素材のミクロな欠乏
一方、一部報道では、製造現場では「在庫が少ない」という声も聞かれます。この乖離が起きる原因は主に3つあります。
- グレードとスペックの不一致:化学製品の製造には、極めて高い純度や特定の組成が求められます。統計上の「ナフサ」があっても、特定の樹脂やインク、添加剤を作るのに適したグレードのナフサが不足していれば、生産ラインは止まります。
- 物流のリードタイムの延長:中東情勢の悪化により、タンカーがスエズ運河を避け、喜望峰回りのルートを選択しています。これにより輸送距離が伸び、日本に届くまでの期間(リードタイム)が従来の数週間単位で遅延しています。現場にとっては「届くはずのものが届かない」という時間差が、そのまま「在庫切れ」として現れます。
- 二次材料・添加剤の途絶:パッケージ製造に必要なインクや接着剤には、世界でも数社しか作っていないような特殊な添加剤が含まれることがあります。これらの原料が中東経由の物流停滞に巻き込まれると、代替品が見つかるまで製品仕様を変更せざるを得なくなります。
中東情勢の影響:なぜ他国の紛争が日本の袋に響くのか

日本の石油化学産業は、原料であるナフサの大部分を海外からの輸入に頼っています。特に中東諸国は最大の供給源であり、その不安定化は日本の製造業にダイレクトな影響を及ぼします。
地政学リスクとシーレーン
日本のナフサ調達における最大の懸念は、海上交通路(シーレーン)の安全確保です。
- ホルムズ海峡:中東産原油・ナフサの出口となる最重要拠点です。
- 紅海・スエズ運河:欧州や北アフリカからの供給、あるいは中東からの最短ルートを繋ぎます。
これらの地域で緊張が高まると、タンカーの保険料が高騰し、運航ルートの変更を余儀なくされます。その結果、ナフサの「調達コストの上昇」と「供給の不安定化」が同時に発生し、川下の製造業者のコストを圧迫します。
ビジネス実務への影響:ナフサ価格と供給連鎖
2026年5月13日付けのJETRO(日本貿易振興機構)のレポートによると、中東情勢の緊迫化に伴うナフサの供給不安は、単なるコスト上昇に留まらず、日本企業の調達戦略そのものに根本的な見直しを迫っています。
特にアジア市場におけるナフサの需給バランスが崩れるなかで、実務レベルでは以下の3つのポイントが重要な焦点となっています。
① 「ナフサ・フォーミュラ」による価格転嫁のタイムラグ
日本の石油化学業界では、原材料価格を「国産ナフサ価格」に連動させるフォーミュラ(数式)による値決めが一般的です。
- メカニズム:四半期ごとの平均輸入価格に基づき、翌四半期以降の製品価格が決定されます。
- 実務上のリスク:レポートでは、急激な市況高騰が発生した場合、原材料費の上昇分を製品価格に反映させるまでに3〜6ヶ月程度のタイムラグが生じ、その期間、川中・川下のメーカーの利益が一時的に圧迫される「タイムラグ・リスク」を指摘しています。
② サプライチェーンの「チャイナ・プラス・ワン」と「ミドルイースト・プラス・ワン」
これまで日本企業は効率性を重視し、安価な中東産ナフサや、大規模な加工拠点を持つ中国市場に依存してきました。しかし、レポートは以下の戦略的シフトの必要性を強調しています。
- 調達先の多角化:北米のシェールガス由来の原料(エタン)や、東南アジアの拠点を活用した「マルチソース化」への移行。
- 地政学的デューディリジェンス:契約の締結において、海上交通路(シーレーン)の閉鎖リスクを想定したフォースマジュール(不可抗力)条項の再点検や、代替輸送ルートの確保が実務上の必須事項となっています。
③ 産業構造の転換:石油依存からの脱却
レポートは中長期的な展望として、ナフサの供給不安定化が企業の「脱石油」を加速させていると分析しています。
- バイオ原料へのシフト: 石油由来のナフサに依存しないバイオナフサの採用。
- ケミカルリサイクルの実装: 使用済みプラスチックを油化し、再びナフサ相当の原料として循環させる技術への投資拡大。
このように、現在のナフサ不足は一過性のトラブルではなく、「安価で安定した石油資源」という前提が崩れた新しいビジネス環境への適応を企業に求めているのです。
参考:紅海およびスエズ運河に関する物流動向 | JETRO 日本貿易振興機構(ジェトロ)
まとめ:実務家が持つべき「地政学的視点」
今回の「ナフサ不足」とそれに伴う「ポテトチップスのパッケージ変更」という事態は、一見すると極端な事例に思えるかもしれません。しかし、カルビーのプレスリリースに「地政学リスクを考慮して」という言葉が明記された事実は、ビジネスの前提が大きく変わったことを象徴しています。
もはや地政学は、単なる知的好奇心を満たすための「教養」ではありません。原材料の調達、エネルギーの安定確保、そしてサプライチェーンの維持。これら実務の根幹を支えるための、「生き残るための必須スキル」へと進化したのです。
地政学を「実務の武器」に変える:点と線を結ぶ思考法
多くのビジネスパーソンにとって、日々流れてくる国際ニュースは「点」の情報に過ぎません。しかし、地政学的な視座を持つことで、それらは「戦略の線」へとつながります。なぜ中東の緊張が日本のパッケージの色を奪うのか。その背景にある物流の力学、資源の依存構造、そして国家間のパワーバランスを理解して初めて、企業は「受動的な対応」から「能動的な戦略」へと舵を切ることができます。
e-JINZAI lab.の「地政学リスクとビジネス戦略研修」では、こうした複雑な国際情勢を「戦略の階層」という明確なフレームワークで分解し、実務で使える思考へと昇華させます。
「石油化学の米」であるナフサを巡る動向は、私たちが享受している便利な生活がいかに不確実な世界の上に成り立っているかを教えてくれます。ポテトチップスの袋が語るメッセージを、自社のリスクマネジメントをアップデートする好機として捉えてみてはいかがでしょうか。

