教学IR実践の壁:なぜデータが教育改善に繋がらないのか

大学職員のための教学IRデータ分析力(実践編)

KEYWORDS

「授業アンケートを実施したが、集計結果を教員に返却して終わってしまった」 「GPAや退学率のデータはあるが、具体的な教育改善のアクションプランが見えてこない」

多くの大学職員、特に教学IR(Institutional Research)の担当者が直面するのが、この「データの死蔵」という壁です。基礎的な知識を身につけ、データの収集まではできても、そこから意味のある示唆(インサイト)を導き出し、実際の施策に落とし込むには、もう一段階上の「分析スキル」が必要になります。

前回は教学IRの全体像や目的について解説しましたが、本記事では「実践編」として、具体的なデータの集計・分析手法に踏み込みます。愛媛大学 教育・学生支援機構の竹中喜一准教授が解説するeラーニング講座の内容をベースに、現場ですぐに使える分析の視点を紐解いていきましょう。

数字の羅列を「説得力のある根拠」に変え、大学の教育力を向上させるための実践的なアプローチをご紹介します。

目次

教学IR実践の壁:なぜデータが教育改善に繋がらないのか

大学改革や認証評価への対応が迫られる中、IR部門への期待は高まっています。しかし、現場では「分析してみたけれど、当たり前の結果しか出ない」「どう改善に繋げればいいか分からない」という声が後を絶ちません。なぜ、データ活用が進まないのでしょうか。

アンケート結果が「集計して終わり」になる理由

最大の要因は、分析が「記述統計(単純集計)」に留まっている点にあります。

例えば、授業アンケートの結果を「全学平均 4.2点」「A先生の授業 3.8点」と算出するだけでは、教員は「平均より少し低いな」と感じる程度で終わってしまいます。これでは行動変容は起きません。

  • その授業は、同じ学部・同じ形態(講義・演習)の科目群と比較してどうなのか?
  • 学生の出席率や事前学習時間との相関はあるか?
  • 過去3年間でスコアはどう推移しているか?

このように、データを「点」ではなく「線(経年変化)」や「面(比較・相関)」で捉える推測統計的な視点多変量解析の基礎的な考え方を取り入れなければ、問題の本質は見えてこないのです。

認証評価で求められる「根拠ある」PDCA

大学基準協会などの認証評価においても、単に「アセスメント(評価)を実施しているか」だけでなく、「アセスメント結果に基づいて改善が行われているか(PDCAサイクル)」が厳しく問われるようになっています。

「なんとなく学生の満足度が低い気がする」という感覚的な判断ではなく、「DP(ディプロマ・ポリシー)到達度調査とGPAの相関分析により、〇〇力の育成に課題があることが判明したため、カリキュラムを見直した」というように、エビデンスに基づいた論理的な説明が求められています。

教学IR担当者には、こうした「説明責任」を果たすためのデータ加工・分析力が必須スキルとして求められているのです。

【実践1】授業・学生アンケートの形骸化を防ぐ分析術

ここからは、具体的な分析実践について見ていきましょう。まずは、多くの大学で実施されているものの、最も形骸化しやすい「授業アンケート」と「学生アンケート」の活用法です。

科目間比較と経年変化で「特異点」を見つける

個々の授業改善を促すためには、教員に対して「気づき」を与えるフィードバックが必要です。単純な平均値の提示だけでなく、以下のような視点でデータを加工することが効果的です。

  1. 属性別比較(セグメンテーション)
    • 全学一律で比較するのではなく、「講義科目」「演習科目」「実験科目」など、授業形態ごとに集団を分けて比較します。
  2. 散布図による可視化
    • 縦軸に「総合満足度」、横軸に「自身の成長実感」や「学習時間」をとった散布図を作成し、各科目がどの位置にあるか(ポジション)を可視化します。

授業改善のためのポートフォリオ分析
(サンプルフォーマット)

学習時間・成長実感
満足度
理想的な授業
質・量ともに充実
「楽単」の懸念
満足度は高いが
負荷が低い
「鬼単」の懸念
負荷は高いが
満足度が低い
要改善エリア
魅力・効果ともに課題
単純な点数だけでなく、2軸でプロットすることで授業の「特性」が見えてきます。

eラーニング講座の「授業アンケートの集計と分析」チャプターでは、こうした個々の授業での集計・分析に加え、科目間での集計・分析手法についても詳しく解説されています。

以下の図は、分析の深さをレベル分けしたイメージです。

分析の深化レベル:記述から推測・発見へ

Level 1
現状把握
単純集計・平均値 「満足度は平均4.2点でした」「A回答が30%でした」
結果は見えているが、理由は不明。
Level 2
比較・推移
クロス集計・経年比較 「文系と理系で傾向が違う」「昨年より学習時間が減少している」
変化や違いに気づけるが、要因はまだ仮説段階。
Level 3
要因探索
相関分析・多変量解析 「満足度には『教員の熱意』より『フィードバックの有無』が強く影響している」
具体的な改善ポイント(フィードバック強化)が特定できる。
IR担当者はLevel 2〜3の視点を持つことで、教員への提案力が飛躍的に向上します。

DP達成度と満足度の相関:カリキュラムの質を問う

次に重要なのが、DP(ディプロマ・ポリシー:学位授与の方針)との関連づけです。 学生アンケートにおいて「DPで掲げている能力(例:論理的思考力、コミュニケーション力)が身についたと感じるか」を問い、その結果を分析します。

ここで見るべきポイントは、「カリキュラム満足度」と「DP達成度」のズレです。 例えば、「カリキュラムへの満足度は高いが、DPで掲げる能力の向上実感は低い」という結果が出た場合、「学生にとって楽な授業ばかりになっていないか?」「教育目標と実際の授業内容が乖離していないか?」という仮説が立ちます。

講座の「学生アンケートの集計と分析」パートでは、こうしたDP達成度調査の項目設計や集計例、さらにはカリキュラム満足度調査との組み合わせ方についても触れられています。これらをマスターすることで、単なる授業評価を超えた、学部・学科単位での教育成果の検証が可能になります。

【実践2】成績・学籍データから学生の予兆を掴む

アンケートという「主観データ」の次は、成績や在籍状況といった「客観データ」の分析です。ここは大学経営(退学防止・学生支援)に直結する分野であり、IR担当者の腕の見せ所とも言えます。

学習成果の判断基準とGPAの正しい活用

「GPA(Grade Point Average)」は多くの大学で導入されていますが、単に「学生を順位付けする道具」になっていないでしょうか。教学IRの視点では、GPAを「教育課程の適切さを測るバロメーター」として扱います。

例えば、以下のような分析視点が求められます。

  • 成績分布の検証(厳格な成績評価)
    • 特定の授業だけ極端に「秀・優(A)」が多い場合、成績インフレが起きている可能性があります。科目ごとのGPA平均値やヒストグラムを作成し、評価基準の平準化を検討する材料にします。
  • GPAと進路の相関
    • 「GPAが高い学生は、希望する進路(就職・進学)を実現できているか?」を検証します。もし相関が低ければ、成績評価基準と社会が求める能力にズレがあるかもしれません。

講座の「成績や学籍異動の集計と分析」チャプターでは、こうした学習成果の判断基準について、具体的な集計例を交えて解説しています。

退学・休学リスクの早期発見シグナル

少子化が進む中、中退予防(リテンション)は経営上の最重要課題です。ここでIRデータが強力な武器になります。

「退学届が出てから面談する」のでは手遅れです。学籍異動データと成績データをクロス分析することで、退学の「予兆(シグナル)」を早期に検知するモデルを作ることが可能です。

分析フェーズ 使用データ(組み合わせ) 検知できるシグナル(例)
1. 初期予兆 出席システム × LMSアクセスログ 「3週連続でLMSログインなし」「必修科目の欠席増」
2. 成績不振 GPA推移 × 取得単位数 「1年次前期GPAが1.5未満」「単位取得率が60%割れ」
3. 決定打 ゲートキーパー科目 × 奨学金申請 「進級必須科目の落単」かつ「経済支援の相談履歴」
※複数のデータベースをID連携(横串検索)できる環境整備が、IR実践の第一歩となります。
  • 出席状況と単位取得率のクロス分析: 特定の時期(例えば1年次後期)に単位取得率が急落した学生グループの追跡。
  • 必修科目の落単と休学の関連性: 「この科目を落とすと退学リスクが跳ね上がる」という「ゲートキーパー科目」の特定。

これらの分析手法をマスターすれば、教職協働で学生支援を行う際の「根拠あるターゲットリスト」を提供できるようになります。

教学IR担当者としてのキャリアと組織貢献

データの分析手法(スキル)について解説してきましたが、最後に「IR担当者としての役割(マインドとキャリア)」について触れておきます。

アセスメントプランの精緻化と情報公開

分析結果は、学内にフィードバックされて初めて価値を持ちます。しかし、すべてのデータをオープンにすれば良いわけではありません。

  • 学内向け: 具体的な改善のために詳細なデータ(授業別、学科別など)を共有。
  • 学外向け: 大学の透明性を高めるため、統合報告書やHPで「教育成果」を公表(情報公開)。

講座の「教学IRの課題と展望」では、アセスメントプランの精緻化や、どこまで情報を公開すべきかという戦略的な判断基準についても触れられています。IR担当者は、データの「門番」ではなく、適切な人に適切な形で情報を届ける「翻訳者」であるべきです。

専門性を高める能力開発のロードマップ

日本の大学において、教学IR担当者はまだ少なく、学内で孤立しがちです。「上司もIRを知らない」「前任者からの引き継ぎもマニュアルのみ」という状況で悩んでいる方も多いでしょう。

だからこそ、学外の知見を積極的に取り入れる「能力開発(FD/SD)」が不可欠です。 他大学の事例を知る、統計解析のスキルを磨く、そして本講座のような専門家による体系的な知識を得る。こうした積み重ねが、あなた自身を「代えの利かない専門人材」へと成長させます。

「教学IR担当職員としての能力開発の方法」チャプターでは、IR担当者がどのようにスキルアップし、キャリアを築いていくべきか、その指針が示されています。

まとめ:データ分析力を武器に、大学を変える「参謀」へ

本記事では、教学IRの「実践」に焦点を当て、アンケートや成績データの具体的な分析視点について解説しました。

  • 単純集計を超え、比較・相関で課題を浮き彫りにする。
  • DP達成度やGPAを深く読み解き、教育改善のPDCAを回す。
  • 退学予兆検知など、経営課題に直結する分析を行う。

これらのスキルは、一朝一夕で身につくものではありませんが、習得すれば大学運営において非常に強力な武器となります。現場のデータと格闘し、教育の質向上に貢献できるのは、他でもないあなた自身です。

「もっと具体的な集計手順を知りたい」「実際のグラフの作り方を見たい」と思われた方は、ぜひ竹中准教授のeラーニング講座(実践編)を受講してみてください。理論だけではない、現場で汗をかく職員のための「生きたノウハウ」が詰まっています。

次のステップ まずは手元のデータを一つ選び、「経年比較」または「属性別比較」を試してみることから始めてみませんか?その一歩が、大学の未来を変える分析への入り口です。